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 はじめに

 虐待やいじめ、自殺など、こころが暗くなる事件があとを断たない。学校現場では教師たちが懸命の努力
を重ねているのだが、不登校児童・生徒や、特別な支援を要する児童・生徒への対応で、教師自身も疲弊し
ているのが現状である。
 大学において研究を続ける私たちが、そうした現状に対して、何ができるのだろうか。
本書の著者たちが所属する京都大学大学院教育学研究科は、
「実践と研究の密接な連携のもとに、我が国
 
における先端的な研究及び教育をつうじて有用な人材を育成し、学界並びに社会に貢献する高度な研究教育
機関としての役割を果たす」という「目的」を持っている。つまり、象牙の塔に閉じこもるのではなく、実
践に結びついた研究を行い、教育というものを通して「人間」を育てることによって、社会貢献をなし、ま
た、それをなしうる有用な人材を育てることをその使命としているのである。
 その使命を果たすべく、教育学研究科では、平成一九年度に「大学院教育改革支援プログラム」に応募し
て採択され、三年間にわたってそのプログラムを遂行した。人の「こころ」を育てるという事業がわずか三
年で達成されるとは考えられないが、一方で、わずか三年であってもなにがしかの端緒をつかむことは可能
であったように思う。本書は、その軌跡の一端を示したものである。
このプログラムは、 ─
「臨床の知を創出する質的に高度な人材養成 京大型臨床の知創出プログラム」と
i
 
いう。本プログラムはその切り口として、
「科学に代表される〈近代の知〉は大きな成果を生んだ。しかし
ii

今日、その限界も指摘されはじめている。人間存在の多面的な現実に即した〈臨床の知〉が構築されねばな
らない」という中村雄二郎 (『臨床の知とは何か』岩波書店、一九九二)の提唱する「臨床の知」を採用すること
としたのである。
 じつは、教育学研究科は、
「教育科学専攻」と「臨床教育学専攻」という二つの専攻からなっている。「科
学」と「臨床」という二側面からアプローチをおこない、また、それが相俟って、先に挙げた教育学研究科
の使命を果たそうとするものである。このプログラム名称には、そうした「京大」独自のアプローチを示そ
うとする意気込みも含まれていた。
本プログラムは、教育プログラムなので、
「既存の問題に適応することのできる能力だけではなく、錯綜
 
した諸事象のなかから問題を問題として確定し、さらにその問題に具体的に創造的に対応できるメタレベル
の能力の養成、 、さ
『臨床の知』を創出する質的に高度な人材の養成を目指し」(本プログラム計画調書より)
まざまなアプローチを行った。
 そうしたアプローチのなかで、本書には、「臨床の知」をめぐって教員による討議が行われた、「研究会」
の内容を中心に示した。それぞれのタイトルの多様さはまさに「臨床の知」の多様性を如実に反映している
ように思われる。また、各論文にはそれぞれ他の教員からの「コメント」がつけられているが、これは、実
際には研究会において活発にかわされた議論の断片が示されているように思う。「臨床の知」を語るのは、
独善的な主義主張を語るのとは異なる、自由な「場」を必要とする。研究会がそうした「場」を作り得たこ
とを幸いに思う。
 また、九州大学名誉教授の北山修先生をお迎えして、本研究科臨床教育学講座の西平直教授と心理臨床学
講座の桑原知子 (筆者)とによって、
「臨床の知」への問いかけを行った鼎談も収録した。これはたいへん
刺激的なディスカッションとなった。こうした「知」の発現を可能にしてくださった北山修先生に心より感
謝したい。
 本書は、
「臨床の知とは何か」という問いに対する「答え」を示すものではない。しかし、答えを出して
歩みを止めるのではなく、ただひたすら問い続けることによって、人間や心の有様を明らかにしようとする
「意志」を示したものと思う。我々はこれからもその歩みを止めることなく、問い続けていきたい。
編者を代表して、桑原知子   
はじめに
iii
目  次
    はじめに  
i

序 章 臨床の知が生まれるとき 矢野智司 
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮

3
1 「臨床の知」とは何か 
3
2 「臨床の知」が自分を探す旅の物語 

6
3 自画像を画定できない「臨床の知」 

9
4 旅の仲間としての「科学の知」 

11
﹁臨床の知﹂をめぐって
﹁臨床の知﹂と﹁書物の知﹂
第一章  │ 世阿弥﹁伝書﹂からの問い 西平 直 
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮

17
1 文字にすること・理論化すること 

17
2 世阿弥はなぜ伝書を書いたのか 
v

19
3 「臨床の知」にとって理論化するということ ─ 世阿弥「伝書」からの問い 

31
vi

コメント 角野善宏
 
34

第二章 心理療法にお 
ける﹁臨床の知﹂ │ 風景構成法と夢分析による ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 角野善宏 

37
1 はじめに 
37

2 風景構成法から 
38

3 夢分析から 
47

4 おわりに 
53

コメント 大山泰宏
 
55
第三章 心理臨床の﹁枠
 ﹂と臨床の知 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 大山泰宏 

57
1 心理臨床における「枠」のゆらぎ 

57
2 心理臨床における枠の措定の始まり 

60
3 枠の意味づけの変質 

62
4 象徴と枠 

63
5 限界設定と無根拠性 

66
6 心理療法の枠と発話行為 

68
7 結びに代えて 

70
コメント 田中康裕
 

73
 
第四章 近代的意識の本質 │ ユングの﹁影入道の夢﹂の分析を通して 田中康裕 
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮

75
1 はじめに 
75

2 影入道の夢 
77

3 №1人格と№2人格 
78

4 あかりの位置 ─
イニシエーションの新しい在り方 

82
5 心理学における「自然」 
86
6 心理学と「近代」 
89

7 おわりに 
92

コメント 松木邦裕
 
96
第五章 主体の知を知 
ることと知らないこと │ 臨床の知とその達成 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮松木邦裕 

99
1 はじめに─ 主体の知とは何か 

99
2 知ること 

100
3 主体の知を可能にするもの ─ 自己の分析と臨床の知 

102
4 知らないこと not knowing

104
 
5 無知と偽りの知 

111 106
6 臨床の知の達成 
7 おわりに 

112
vi i
コメント 井谷信彦

114
 
 
第六章 宙吊りにされた﹁知﹂の形式 │ 危機に関わる﹁知﹂としての﹁臨床の知﹂ ⋮⋮⋮⋮井谷信彦 

117
vi i i

1 ボルノウ教育学における「危機」の概念 
117
2 危機に関する「知」のパラドックス 
121
3 出来事に関わる「知」としての予感/合図 
125
コメント 井上嘉孝
138

 
第七章 苦悩という体 
験の心理学的理解
│ 村上春樹﹃トニー滝谷﹄における出会いと孤独を手掛かりとして 井上嘉孝

141
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
    
 
1 創造的契機としての苦悩 

141
2 『トニー滝谷』  143
3 トニー滝谷の現代性 

145
4 「私」が生まれる瞬間、孤独の深まり 

148
5 本当に一人になること 

150
6 『オイディプス王』に見られる「内省」の意義 

153
7 一回の出会い、百万回の出会い損ない 

156
コメント 西平直

161
 
 
鼎 談
﹁臨床の知﹂への問い 北山修・西平直・桑原知子 

165
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
書くこと、言葉にすること  /引き裂かれた事態を「渡す」  /つなぐ言葉「私」「・渡し」  /
166

167

168
何かと何かの間に立つ ─
不 明 瞭 な 位 置 づ け  / 日 本 で の 精 神 分 析 の は じ ま り   / 生 産 性 の 源

169

170

泉 二重構造  /臨床における書き言葉の意味  /二社言語と三者言語  /二つの言葉に
172

173

175
引き裂かれて / 他 者 に ど う 伝 え る か  / 臨 床 に お け る 記 録 作 業  / 第 三 者 に も わ か る 言
177

178

179
 
語  /三者的視点の大切さ  / 「離見の見」  /もう一人の私  /後ろからの眼差し  /
180

187 181

182

184

185
よい臨床家はよい文章を書く / ケ ー ス を 扱 う こ と が す べ て の 原 点   / フ ロ イ ト の 治 療 記 録 

188
 
/間接話法か直接話法か  /臨床には絶えず他者がやってくる  /「通じる」ことを目指す二
190

193 191

192
者的コミュニケーション /
「 通 じ る 」が 断 た れ る「 脱 錯 覚 」
  /断絶を呼び止める言語の発

194
 
達  /自分が選んだ学説は自分のことを説明している  / 日常の二者言語と臨床家の用いる
196

197
二者言語との違いは? /共感的対話の研究  /言葉は根本的に第三者性を孕んでいる  /

198

201

202
 
書くことを後押しされる ─
第 三 者 の 介 在  / 言 っ て い る こ と と や っ て い る こ と の 一 致   / 一

204

205
者言語は果たしてあるのか  /駄洒落的言語感覚  /言葉のラリーがつくりあげる 

206

208

209
ix
コラム
x

心理療法における見立てをめぐって 髙橋靖恵 

224 221 216 213


……
………………………………………………………………………………………………
臨床知への認知心理学的アプローチ ……
………………………………………………………………………………………………楠見 孝 
私淑とシシュク … 稲垣恭子 
…………………………………………………………………………………………………………………………………………
臨床の知と臨地の知 …… 鎌田東二 
………………………………………………………………………………………………………………………………
結びに代えて │ ﹁臨床の知﹂の二面性 桑原知子 

229
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
付 録 大学院教育改革支援プログラム︵大学院GP ︶
   
﹁臨床の知を創出する質的に高度な人材養成 │
京大型臨床の知創出プログラム﹂活動報告
竹中菜苗 

233
                                                        ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
序章 臨床の知が生まれるとき
矢野智司
原稿用紙三〇枚の予定で、
「臨床の知とは何か」について書き始める。しかし、五〇枚をすぎてもその輪郭線さ
え描きだすことができない。
「臨床の知」の像は、原稿用紙が増えるにしたがってますます拡散し、さらには錯
綜しはじめる。このことには「臨床の知」の本質にかかわる何か決定的な理由があるにちがいない。
1 ﹁臨床の知﹂とは何か
 ここではまず「臨床の知」の実例をいくつか取りあげ、
「知」として特徴を列挙し、その定義を示すこと
が求められているのだろうが、そのような期待を裏切らざるをえない。「臨床の知」は、臨床の場面と思わ
れる場での事例を注意深く観察し、場合によっては、実験したり質問紙でもって調査し、実証的なデータか
ら、何らかの知の法則やその知とかかわる技術を抽出することによって、その特徴を示すことができるもの
00 3
ではない。このような知は、後に述べる「科学の知」なのだが、「臨床の知」はこのような「科学の知」に
よるアプローチによっては、そのアプローチそのものによって、損なわれたり、その特質が見失われたりし
004

てしまうものである。
 「臨床の知」とは、それ自体にパラドクシカルなところがあり、定義することの不可能性と可能性、ある
いは語ることの不可能性と可能性に直面する知の在り方である。しかし、このような定義の困難さのうちに
こ そ、
「臨床の知」とは何かを明らかにする手がかりがあるように見える。したがって、正攻法で正面から
「臨床の知」とは何かを論じるのではなく、むしろ逆説的に、
「臨床の知」の定義の困難さの在処を示すこと
に よ っ て、
「 臨 床 の 知 」 を 明 ら か に す る と い う パ ラ ド ク シ カ ル な 道 を 選 ぶ 方 が よ い だ ろ う。 し か し、 こ の
「臨床の知」自体の定義の困難さも、あるいはこのようなパラドクシカルな道を選ぶことの正当性も、ここ
で明らかにはできない。
輪郭線の明確でない書きだしからはじまったが、私たちにこの「臨床の知」という図柄のイメージがない
 
わけではない。 「臨床の知」という言葉を提示し、それに明確な形を与えたのは哲学者の中村雄二郎である。
中村の定義は、
「 臨 床 の 知 」 と は 何 か と い う こ の 困 難 な 探 究 の 旅 に お い て、 明 確 な 出 発 点 を 与 え て く れ る は
『臨床の知とは何か』(一九九二)のなかで、中村は「臨床の知」を「コスモロジー」「シンボリズ
ずである。
ム」「パフォーマンス」の三つの特性あるいは構成原理によって成っていると述べている。「コスモロジー」
とは、場所や空間を一つ一つが有機的な秩序をもち、意味をもった領域とみなす立場のことであり、また
「シンボリズム」とは、物事をさまざまな側面から多義的にとらえあらわす立場のことであり、さらに「パ
フォーマンス」とは、行為者がパトス的な在り様を含みつつ相手との間に相互作用が成立していることであ
る [中村 ]。
1992:133ff.
 このような「臨床の知」は、
「科学の知」と対照されて論じられている。「科学の知」とは、あらためて言
うまでもなく近代に登場し、そして近代を推進してきた知の形態であり、自然科学において典型的にみられ
るように、
「非個人性・普遍性・客観性」[中村 ]を特徴にしている。科学は誰でも訓練を積みある所
1992:36
定の方法にしたがえば、実験によって特定の現象を観察したり再現したりすることが可能である。またそこ
で見いだされた結果やそこから導かれる法則は、時代や場所を変えても限定された範囲において妥当する。
中村はこのような「科学の知」を鏡にして、先に述べた「臨床の知」の形を次のようにまとめている。
科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的な因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象
化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり、世界や
他 者 が わ れ わ れ に 示 す 隠 さ れ た 意 味 を 相 互 行 為 の う ち に 読 み 取 り、 捉 え る 働 き を す る。[ 中 村

1992:135
 「臨床の知」は、
「科学の知」と異なるのはもちろん、従来より科学と対照に語られてきた「人文知」とも
異なる「フィールドワークの知」とも言うべきものとして理解されている。中村の言う「臨床の知」は、
序章 臨床の知が生まれるとき

「コスモロジー」
「シンボリズム」
「 パ フ ォ ー マ ン ス 」 と い う 用 語 か ら も わ か る よ う に、 人 類 学 的 な 知( 言 葉
を換えれば近代以前の知の在り方)を基本的なモデルとしている。中村の定義は、ディルタイが自然科学と
精神科学とを区別するのに因果の「説明」と意味の「理解」とに分けて論じた学問論の現代版だが、「科学
の知」を対照項にして、
「臨床の知」のもつ「意味」や「多義性」や「経験」を論じることで、あらためて
「科学の知」とは異なる知の形態があることを明らかにした点で、意味があったと言えるだろう。それはま
た「科学の知」へと収斂しかねない人間諸科学に、それぞれに固有の領域の知の形態と課題があることを、
あらためて明らかにするものでもあった。
005
24 3

鎌田東二(かまた とうじ)
京都大学こころの未来研究センター教授。著書『翁童論』四部作(新曜社)
、『聖地感覚』
(角川学芸
出版)
、『超訳古事記』
(ミシマ社)
、『モノ学の冒険』
『平安京のコスモロジー』
(いずれも創元社)ほか。

北山 修(きたやま おさむ)
九州大学名誉教授。現、北山精神分析室。著書『幻滅論』
(みすず書房)、『精神分析理論と臨床』
(誠信書房)、『劇的な精神分析入門』
(みすず書房)
、『日本人の〈原罪〉』(講談社現代新書、共著)
ほか。

楠見 孝(くすみ たかし)
京都大学大学院教育学研究科教授。著書『メタファー研究の最前線』(編著、ひつじ書房)、『仕事
のスキル』(共編著、北大路書房)、『思考と言語』(編著、北大路書房)ほか。

髙橋靖恵(たかはし やすえ)
京都大学大学院教育学研究科准教授。著書『実践ロールシャッハ法』(共著、ナカニシヤ出版)、
「青年期問題と家族ストレス」『家族心理学年報27』、『家族のライフサイクルと心理臨床』(編著、
金子書房)ほか。

竹中菜苗(たけなか ななえ)
京都大学大学院教育学研究科助教を経て、現在、チューリッヒユング研究所留学中。著書『発達障
害への心理療法的アプローチ』(共著、創元社)など。

田中康裕(たなか やすひろ)
京都大学大学院教育学研究科准教授。著書『魂のロジック』(日本評論社)、『心理療法とイメージ』
(共著、岩波書店)、『発達障害への心理療法的アプローチ』(共著、創元社)など。

西平 直(にしひら ただし)
京都大学大学院教育学研究科教授。著書『エリクソンの人間学』『魂のライフサイクル』『世阿弥の
稽古哲学』(いずれも東京大学出版会)ほか。

松木邦裕(まつき くにひろ)
京都大学大学院教育学研究科教授。著書『精神分析体験:ビオンの宇宙』(岩崎学術出版社)、『分
析実践の進展』(創元社)、『精神分析臨床家の流儀』(金剛出版)ほか。
24 4

▪編者紹介 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

矢野智司(やの さとじ)
1954年兵庫県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程(教育学専攻)中退。現在、京都大
学大学院教育学研究科臨床教育学講座教授。主な著書に『子どもという思想』(玉川大学出版部)、
『ソクラテスのダブル・バインド』
(世織書房)
、『自己変容という物語』(金子書房)、『動物絵本を
めぐる冒険』(勁草書房)、『意味の躍動する生とは何か』(世織書房)などがある。

桑原知子(くわばら ともこ)
1955年滋賀県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院教育学
研究科心理臨床学講座教授。臨床心理士。主な著書に、『人格の二面性について』(風間書房)、『も
う一人の私』(創元社)、『教室で生かすカウンセリング・マインド』(日本評論社)、『カウンセリン
グとは何か』(日本評論社)、『臨床心理学』(編著、朝倉書店)などがある。

▪著者紹介(50音順)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

井谷信彦(いたに のぶひこ)
京都大学大学院教育学研究科助教を経て、現在、立命館大学産業社会学部非常勤講師。論文「『住
まうこと』と世界の奥行き:O. F. ボルノウ『新しい庇護性』再考」『教育哲学研究』第98号、ほか。

稲垣恭子(いながき きょうこ)
京都大学大学院教育学研究科教授。著書『女学校と女学生』(中央公論社)、『子ども・学校・社会』
(編著、世界思想社)
、『教育社会学』(共編、放送大学教育振興会)ほか。

井上嘉孝(いのうえ よしたか)
京都大学大学院教育学研究科助教。論文「吸血鬼と恐れの変容 : 心理臨床における異界との関わり
についての一考察」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第53号、ほか。

大山泰宏(おおやま やすひろ)
京都大学大学院教育学研究科准教授。著書『講座心理療法7 心理療法と因果的思考』(共著、岩
波書店)、『心理臨床の実際5 境界例・重症例の心理臨床』(共著、金子書房)ほか。

角野善宏(かどの よしひろ)
京都大学大学院教育学研究科教授。著書『分裂病の心理療法』『描画療法から観たこころの世界』
(いずれも日本評論社)、『たましいの臨床学』(岩波書店)ほか。
臨床の知
り ん しょう ち

り ん しょう し ん り が く きょう い く に ん げ ん が く と

─ 臨床心理学と教育人間学からの問い
2010年11月20日 第1版第1刷発行

編 者………………………………………………………………
矢野智司・桑原知子
発行者………………………………………………………………
矢部敬一
発行所………………………………………………………………
株式会社 創元社
http://www.sogensha.co.jp/
本社 〒541-0047 大阪市中央区淡路町4-3-6
Tel.06-6231-9010 Fax.06-6233-3111
東京支店 〒162-0825 東京都新宿区神楽坂4-3 煉瓦塔ビル
Tel.03-3269-1051
印刷所………………………………………………………………
株式会社 太洋社

©2010 Printed in Japan


ISBN978-4-422-11501-6 C3011
〈検印廃止〉

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落丁・乱丁のときはお取り替えいたします。

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